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いきたひ


耳下腺ガンで夫を亡くした妻と子供たちのドキュメント映画。
死生観を超越する事が出来るかもしれない深い内容で、今後も
日本各地で上映・開催される。機会があれば是非観ていただきたい。
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認知症になっても住みやすい町をめざして


私は認知症になっても、
最期まで尊厳をもって住み慣れたところで暮らしたいと願っています。

私が認知症になっても、これまでと同じように、おつきあいください。
私が認知症になっても、私の家族とも変わりなく、おつきあいください。

私が認知症になったら、できないことが少しずつ増えていくと思います。
そんな時、できないことを少し手伝ってください。
私が認知症になったら、
「おぼえておいてね」と言われても、おぼえられない時がくると思います。
同じことを繰り返したずねても、どうか笑顔でこたえてください。

私が認知症になっても、これまでと同じように、声をかけてください。
食事会や映画などに誘ってください。たとえ、あなたのことがわからなくなっていたと
しても・・・。
私が認知症になっても、私の家族にこれまでと同じように声をかけてください。
食事会や映画などに誘ってください。私がそうしたいと望んでいたように。

私は認知症になっても、買い物や散歩に安心してでかけ、時には旅行を楽しみたい。
私が認知症になっても、私の家族も買い物や散歩を楽しみ、時には旅行を楽しんでほしい。

私は認知症になっても、これまでと同じように、
趣味活動やボランティア活動を続けたり、新しいことにチャレンジしたい。
私が認知症になっても、私の家族にもこれまでと同じように、
趣味活動やボランティア活動を続けたり、新しいことにチャレンジしてほしい。

私は認知症になっても、住み慣れたところで朗らかに暮らしたい!
そして、家族も友達もみんなが笑顔で人生を楽しめるように願っています。

                NPO介護支援の会 松原ファミリー理事 佐瀬 美惠子

天王寺区ロバの会


認知症サポーターキャラバンのマスコットを天王寺区ロバの会でも
使用していて、本当は許可をとるなりしなければいけないのに
ずっと慣例化している。
会のメンバーも、協力してくれる天王寺区の社協や包括支援センターも
イマイチ無頓着なので、ロバの会オリジナルのキャラクターを作ってみた。
しかし 混同していたとはいえ同じ動物だし、すでに愛着もあると思うので、
キャラバンのロバに極力似せてあるのがどうも気の弱いところ。 
身体の色は同じ。ただし目を閉じることがあり、今のところ子ロバはいない。
人のお役に立てるよう、いつでも背中に荷物を乗せる準備をしているのが
ポイント。

何人かにお見せしたが喜んではくれるものの、やはり興味が無いというか
言わばどちらでも良いという感じ。
しばらく時間を置いて、勝手に自分の名札に入れてやろうかと考えている。

ロバの会に加入したのは叔母の認知症を少しでも理解するためで
デイサービスでお年寄りの話し相手をしたり、一緒にレクリエーションをしたり
歩く会でいっしょにウォーキングしたり、体操したり。
叔母を連れて地域毎にある ふれあい喫茶というお茶会に行ったりした。
子供たちに認知症を理解してもらうための人形劇もロバの会のみんなと
一緒に作ったりもした。

叔母が亡くなってからは率先して出向く事がなくなった。
かろうじて近くのふれあい喫茶の設営、片付けのお手伝いをしているくらい。
連絡会に行くと、みんな頑張ってデイサービスや歩く会、講演会にも
積極的に参加して、何人かは食事会にお年寄りの送迎などされていて
頭が下がる思いだ。
自分はロバの会で何が出来るのだろう。
「ロバの会の活動は小さい事ばかりだが、人数が増えたらもっとお役に
立てると思う」と副会長はおっしゃっていたが。

パネルシアター



認知症の介護の勉強のために参加している支援ボランティアの「ロバの会」で、
小学生にも認知症を理解してもらえるよう、切り抜き人形を使った寸劇=
パネルシアター用の原画を作らせてもらいました。

保育園からお借りした市販のキットを参考に、天王寺区の社会福祉協議会の
担当の方が材料を揃え、介護施設の職員やロバの会のメンバーも一緒に原画を
不織布に写し取り、アクリルカラーで色を塗って切り抜き、かわいいお人形たちが
できあがりました。

9月6日に大阪市内各区が参加する研修会があり、パネルシアターがお披露目され
大変好評だったそうです。
近いうちに、大阪市地域福祉研修情報センターのホームページにこの
イラストのデータが紹介される予定になっています。

戦争の犠牲

大阪に大空襲があったのは、昭和20(1945)年3月13日の夜だった。
大雨のように降ってくる焼夷(しょうい)弾。真っ赤に燃える大都会。その時、大阪に
住んでいた私たち家族は、幸い命だけは助かったものの、他の全ては無と化した。

 10歳のまだ幼い私が心に受け止めるには、残酷すぎる出来事だった。
今なら心のケアだの、カウンセリングだのと言われるだろうが、当時はそんな余裕もなく、
ただショックで言葉も出なくなった。

 それから田舎の親戚宅に身を寄せ、肩身の狭い居候暮らしが始まった。

 極めて悪い食糧事情の中、甘いものはほとんどなかった。たまに「いもあめ」という
ものが配給され、末っ子の妹が「おいちい」と笑顔でなめていたが、それを口にすると
決まって下痢をしていた。

 免疫力も抵抗力もない2歳の妹の命は、あっけなく天に召されていった。せっかく
戦災では落とさなかった命なのに、可哀そうで涙があふれた。

 命日には甘いお菓子をいっぱい持って、お墓に並べる。「あんたも今、生まれて
いれば、おいしいものをたくさん食べられたのにね」と涙声で語りかけている。

 今でも世界のどこかで紛争は続いている。平和を祈るばかりだ。幼い日、大きく
狂わされた私の人生。老体となりガタがきているが、この年齢まで生きてこられた
ことに乾杯。そして、人生の卒業証書を授かる瞬間まで、動けたら幸せだ。


毎日新聞 2013年03月13日 大阪朝刊 コラム「女の気持ち」より


おいちいと喜ぶ子どもの顔を想像する。子を持つ親にはたまらない話だ。

自分サイズに生きること

町の酒屋
テニスでご一緒している方の弟さんが工芸高校の後輩で、お酒に関する情報誌の
ライターさんという奇遇!その著書をいただきました。
40年以上前にこれからの小さな町の酒屋のあり方を考え、地元の地酒を開発し
時代に流されない商売の原点を確立した、新潟の早福岩男というおもしろい
おじさんの人となりを紹介しています。
商いは物ではなく人と人のつながり。大それたものでない個人サイズの幸せとは。
商売に携わらなくてもステキな人生をおくるヒントを教えてくれます。

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プロフィール

HN:
ベラスケ
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性別:
男性
職業:
イラストレーター
趣味:
テニス、お酒
自己紹介:
小さい頃からお絵かき好き。マンガ・劇画・油絵・アニメ・イラストと描き続けて現在に至る。
大阪市生まれ、大阪市在住。さいたまに10年住んでいました。

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